ゐるのである。
 やや予言めくが、かの、トオキイの出現はなによりも、その機運を促進させるのではないだらうか。理由は簡単である。そこには、翻訳劇の埋め合せをするものがあるからだ。
 さてまた、この辺であと戻りをしよう。
 私は、この文章の中で、しきりに、「文学的」といふ言葉を用ひた。ことによると誤解を招くと思ふから、もう一度、その意味を明らかにして、次の議論を進めて行かう。
 早速例を挙げることにするが、仏蘭西十七世紀の大作家に、ボッスュエといふ博学な坊さんがある。この坊さんは、職業柄、その書くものは、文学として類の少い「弔詞」といふ形式であり、これがまた仏蘭西古典文学の傑作である。
 この「弔詞」は、私の見るところでは、小説よりも、戯曲に近く、誠にルイ十四世時代の「演劇時代」を思はせるものである。これを若し、戯曲の中の、更に特殊な一形式に結びつければ、云ふまでもなく、「独白《モノロオグ》」なのである。ラシイヌ、コルネイユの有名な「長白《チイラアド》」も亦、これに髣髴たるものがあると云へよう。
 また、同じ時代の、卓抜な閨秀作家、ド・セヴィニエ夫人の同著作は、悉くこれ、「書簡」である。彼
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