るやうに思はれてゐるが、これが若し、「劇的事件の推移」乃至は「筋の運び」といふやうな立場から、先づ準備説明《エキスポジション》を必要とし、劇的高潮《クライマツクス》を経て大団円に至るといふやうなことなら、誰しも心得てゐることであつて、これは戯曲に限らず、興味中心の物語には常に応用されるコンポジションの常套手段である。
 喧嘩の話をする。ちやんとこの型に嵌めて、先づ喧嘩の起つた理由から、喧嘩の有様、喧嘩が済んで双方が仲直りをするなり、一方が殺されるなり、二人共警察へ引つ張られるなりする処で話が終るといつた風である。が、それは喧嘩に対する興味が一般にそれだけで満足されるからであつて、またそれが一番解り易く、一番話し易いからであつて、若し、これを喧嘩の最中から物語を起すとすると、一寸六かしくなる。まして、仲直りの場などから始めると、なかなか骨である。成程、戯曲では、時間的に順序を追つて場面を展開させる必要があるからでもあるが、喧嘩の話を戯曲に仕組むにしても、必ずしも喧嘩の場面を使はなくてもいい。それを使ふより以上に面白い場面が、喧嘩後のある場面にあり得るのである。ただそれを面白く現はすことが
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