曲の戯曲たる形式があることを思へば、これをもつと高い処から見て、戯曲はその芸術的手法に於て、最も暗示的なものでなければならないと云へるのである。
 最も暗示的であることは、最も直接的であることを妨げない。これは矛盾でもなんでもない。暗示といふことは、必ずしも、間接的な物言ひや、遠廻しな言葉使ひを指すのではない。この一見矛盾したやうな二点を、最も正しく理解して、これを最も巧みに取入れることが、戯曲創作の要諦である。作者が何等間接の解釈を加へないで、しかも作者の云はんとすることを直接語り尽してゐるやうな、さういふ「場面」こそは戯曲のために最も好ましい場面なのである。しかしながら、かういふ場面を現実の中に求めることは不可能である。現実の中には何等解釈といふものはない。然し、常に解釈を妨げ、又は解釈に無益なる分子が混在してゐるものである。これを整理するのが劇作家の手腕であり、才能である。
 さて、「場面」といふ言葉が出て来たから、序に戯曲の「結構」即ち、コンポジションについて一と通り研究してみよう。
 戯曲の結構についても、古来、所謂「作劇術」といふやうなことが論ぜられて、何か一定の法則でもあ
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