も、人生の動的な半面或は静的な半面と一致するわけではない。一切のものに「生命」を与へることが芸術であるとすれば、そして、「生命」に絶対的静止があり得ないとすれば、人生を動的半面、静的半面に区別することさへ不可解である。
 色彩にも韻律がある如く、音響にも姿態がある。運動そのもののうちに、韻律と姿態があることは云ふまでもない。時間及び空間的存在である一つの「生命」が、時間的にある姿態を示し得ると同時に、空間的にある韻律を伝へ得るものであることを知れば、小説と戯曲との分野は自ら明かになると思ふ。眼に訴へる韻律と耳に映ずる姿態、これは、小説と戯曲とを区別する根本の感覚である。
 かう云ふとまた、「韻律の美」が「詩」の同義語に解せられる恐れがあるが、「詩」は形式の上から音声上の韻律を一つの要素としてゐるだけで、「詩的美」は必ずしも生命の韻律のみを伝へると限つてはゐない。この場合には、韻律とか姿態とかいふ言葉は使はない方がいいのであるが、強ひて云へば、詩は生命の最も全的にして純粋な表現である。従つて、生命の「特殊な表現」が、小説や戯曲の如く、最初から約束されてはゐないのである。あらゆる生命の韻律
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