戯曲以前のもの
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)韻律《リズム》
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 現今戯曲として通用してゐる作品のうちには、若しもその主題を取つて小説としたならば、定めし読むに堪へないであらうやうな安価な作品が多い。その反対に、小説として読めば相当高い芸術的の香りを放つてゐる作品の内容を、戯曲として舞台にかけて見ると、極めて空疎な印象しか与へられないといふやうな場合が屡々あるのであるが、これは抑も何に基因するであらう。
 戯曲といふ文学的形式が、それ自身にもつてゐる弱点であらうか。或はまた、戯曲の創作がそれほど六かしいものなのであらうか。
 人はよく「これは戯曲的な主題」であるとか、「劇的な内容」であるとか、さういふ言葉を使つて、そこに戯曲創作の出発点を置かうとする。これが文学としての戯曲を芸術的に低級ならしめる唯一の原因であらうと思はれる。
 あらゆる芸術的作品の魅力は、作者の主観を通してのみわれわれの魂に触れて来るものである。客観的に「芸術的な主題」といふものは絶対にあり得ない。小説に於ては既にこの真理が普く会得されてゐるに拘はらず、戯曲の方面に於てのみ、なほ客観的に「劇的主題」なるものが尊重され、戯曲の芸術的価値が、この標準によつて論議される滑稽千万な状態を持続してゐるのである。
 人生を如何に観、如何に表現するかといふことでなしに、人生の如何なる部分を捉へるかといふことに戯曲創作の要諦があるとすれば、戯曲は断じて芸術的作品のレベルには達し得ないであらう。勿論主題の選択は制作過程の第一歩には違ひない。ただ、小説家は、あくまで芸術家としての主観を透して人生の事相に興味を向け、小説家にして初めて感じ得る真理の閃きを捉へて、これを独特の表現に盛らうとする。そこから、芸術的作品が生れるのである。然るに、劇作家のみは何故に、客観的態度を以て人生の「劇的葛藤」に注目し、劇作家ならずとも感じ得る「興味」を捉へて、これを公衆に示す義務があるのだらう。戯曲の大部分が芸術的価値に乏しい所以である。
 勿論小説にも通俗小説といふものがある。現代の日本に於ては、新派劇と新劇とを対立させて、一を通俗的、一を芸術的としてゐるらしいが、新劇とは結局、新派劇より「ロマンチックな手法」乃至「センチメンタルな分子」を除いたといふだけで、それがために芸術的価値が向上してゐるとは云へないものである。
 極めて大ざつぱな論じ方のやうであるが、小説家が小説的に人生を観、戯曲家が戯曲的に人生を観るといふことがあり得るにしても、その「小説的」な観方が直ちに「芸術的」な観方でなければならぬ如く、「戯曲的」な観方が、結局「芸術的」な観方でなければならないといふ点で、現在の戯曲家乃至戯曲批評家の頭がはつきりしてゐないのではないかと思はれる。
 ここで、第一、問題になるのは「戯曲的」といふ言葉である。芸術的といふ意味を含んだ「戯曲的」といふ言葉である。かうなるともう「表現」といふ問題に結びついて来るが、ここでは「表現以前」のもの、即ち劇作家の芸術的霊感が、小説家のそれと如何に違ふか、延いて、「戯曲以前のもの」は、「小説以前のもの」に対して、如何に区別さるべきか、この点について一考してみたいと思ふのである。
 芸術家の立場によつて、その制作過程や、制作動機がまちまちであることは当然であるが、所謂「主題」の捉へ方に於て、劇作家が小説家と異る一点は、ただ、生命の韻律《リズム》に興味を繋ぐか、或はその姿態《ポオズ》に心を傾けるかによつて生じるのであると思ふ。これは必ずしも、人生の動的な半面或は静的な半面と一致するわけではない。一切のものに「生命」を与へることが芸術であるとすれば、そして、「生命」に絶対的静止があり得ないとすれば、人生を動的半面、静的半面に区別することさへ不可解である。
 色彩にも韻律がある如く、音響にも姿態がある。運動そのもののうちに、韻律と姿態があることは云ふまでもない。時間及び空間的存在である一つの「生命」が、時間的にある姿態を示し得ると同時に、空間的にある韻律を伝へ得るものであることを知れば、小説と戯曲との分野は自ら明かになると思ふ。眼に訴へる韻律と耳に映ずる姿態、これは、小説と戯曲とを区別する根本の感覚である。
 かう云ふとまた、「韻律の美」が「詩」の同義語に解せられる恐れがあるが、「詩」は形式の上から音声上の韻律を一つの要素としてゐるだけで、「詩的美」は必ずしも生命の韻律のみを伝へると限つてはゐない。この場合には、韻律とか姿態とかいふ言葉は使はない方がいいのであるが、強ひて云へば、詩は生命の最も全的にして純粋な表現である。従つて、生命の「特殊な表現」が、小説や戯曲の如く、最初から約束されてはゐないのである。あらゆる生命の韻律
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