して、細密に計画されてあると思はなければならないからである。
僕はこれまで、戯曲の名訳なるものを二三知つてゐる。そして、それらは、何れも世の識者を感嘆せしめ、訳者の名を頓に高からしめた。辰野、鈴木両君訳の「シラノ」がその一つである。
僕は、今、それらの光栄ある名前のうちに、畏友岩田豊雄君の名を加へたく思ふ。尤も、僕がわざわざ加へなくつても、もうとつくに加はつてゐると云はれればそれまでであるが、世人はまだ、この戯曲翻訳の天才を十分認めてゐないやうな気がする。その証拠に、僕は、まだ、彼の名が批評家の筆にのぼつた噂を聞かない。
岩田君は、僕などと違ひ、日常、家に在つて朝起きるから夜寝るまで、子供を叱るにも、細君と相談するにも、かの仏蘭西戯曲の言葉を駆使し、夏の日中は、われ等と同じく浴衣の裾をまくつて毛脛を現はしてゐるにも拘はらず、軽やかにペンを走らせて、巴里なる世界的旧友ゴンチャロヴァ女史に手紙を認めるのである。
この岩田君、生来の江戸ツ児弁、急き込めばやや吃り、酔へば不良少年の如く舌足らずになるが、文章を書かせると流通無礙、多彩な語彙を近代的テンポに乗せて、やたらに読者の息をはづま
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