せる。
 彼は、既に、ヴィルドラックを訳し、コクトオを訳し、ピランデルロを訳し、ジュウル・ロマンを訳し、アシャヤアルを訳し、そして、また、これからいろいろ訳さうとしてゐる。試みに、ピランデルロの「作者を探す六人の登場人物」を読み給へ。なほ、試みに、ジュウル・ロマンの「トゥルアデック氏の放蕩」を読み給へ。今日まで、純粋な現代語を以て、かくの如き生彩ある翻訳を成し遂げたものが一人でもあつたらうか。なるほど、現在の日本は、この名訳戯曲を舞台に上せるべくあまりに舞台的材料を欠いてゐる。然し、僕は、彼が、今日まで日本の俳優を用ひて、長く演出なる仕事に従事しなかつたことを幸だと思つてゐる。なんとなれば、これらの戯曲を翻訳するに当つて、「仏蘭西の俳優が日本語で演ずるとしたならば」かうも訳すべきだといふ訳し方を選び得たからである。
 翻訳戯曲の類を絶したものである。敬服に値する。(一九二八・一〇)



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「悲劇喜劇 創刊号」
   1928(
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