思想的には革命主義を、生活的には進取的、野心的な道を選ぶのである。
 彼等は甚だ社交的に見える場合もあるが、その実、極端な「人嫌ひ」であることが多く、動もすれば孤独感を楽しむ風がある。
 彼等は、概して執着性に乏しい。ある時は諦めが早く、ある時は移り気である。
 彼等は、親愛の感情を現はすことに吝である。従つて「人懐つこく」ない。
 彼等の感受性は、どちらかといへば鋭敏であるが、決して素直ではない。時としては病的である。しかも、その想像力はやや偏奇的で、過剰の気味を呈し、そこから人のしないことをしようといふ天邪鬼的性向と、誰にも出来ないことをしようといふ冒険的精神と、更に、人の思ひつかない推断を敢てする妄想症が発生し、そして常に物の裏書に意をくばる皮肉な習癖が附き纏ふ。
 ただ、その感受性には独特の粘り強さがあり、従つて、禁慾主義的とさへ思はれる忍苦の趣味的傾向が生れる。
 彼等には、神経性粘液質とでも名づくべき人物が多く、殆ど内攻する癇癪の持主である。癇癪が外に爆発せず、内に食ひ入る性分である。
 以上の諸点を綜合して、彼等に共通のものは、かの潜在的憂鬱性であり、発作的放浪性である。
 さて、多少の独断は許してもらふとして、私の観察は、凡そ以上のやうなことを私に教へたのであるが、これを文学にもつて来るとまた面白い結論が引き出せさうだ。
 断つておくが、私の書くものなどは、凡そかういふ見方をするためには不純極まるもので、紀州人としての素質は、他の様々な夾雑物によつて覆はれ、歪められてゐるに相違ないけれど、佐藤春夫氏の作品などについて、将来この種の研究を進めて行けば面白くはないかと思ふ。またこれを文学的に観れば、更に別な「紀州色」を附け加へなければなるまいとも思つてゐる。私は個人的に佐藤氏をよく識らないのだし、むろん、前に述べたやうな箇条を、人としての同氏に当てはめてみたことなどは一度もない。まして、私の貧弱な論断が、多くの例外をまで含めることのできないのは、遺憾ながら已むを得ない。
 おまけに、私の知つてゐる紀州は、和歌山市の一部と和歌の浦の一隅である。有名な蜜柑畑も、紀ノ川も、高野山も、粉河寺も、熊野の浦も、綿ネル工場も、なにもかも観たこともないのである。
 私のところへ遊びに来る新進劇作家阪中正夫君は、粉河に近い、紀ノ川のほとりの生れだと聞いてゐるが、彼は、少く
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