ゐるやうに思はれる。それは、つまり、私の眼が紀州人に向けられる時、あまりに隔たりをおきすぎるといふことである。
だがかういふ傾向は、決して昔からあつたのでなく、私が、文学をやり始め、殊に、作家生活にはひつてから著しく現はれて来たもので、翻つて考へると、文学の地方性といふ問題に触れる機会が、近来、ますます多くなつたからだらうと思ふ。
さういへば、日本の文壇では、各作家の個人研究があまり行はれず、自然、それぞれの作家が、その作品の中に、どれほど「郷土的」なものを盛つてゐるか、その作品のどういふところに、その作家の「何国人」たる特色が現はれてゐるかといふやうな問題は、殆んど顧みられないやうであるが、仮に今、フランス文学についてみれば、所謂「郷土主義的」作品は別としても、多くの作品について、それぞれ興味ある「血統」の研究が行はれてをり、作品を通じての思想感情、乃至色調の特異性を、屡々ある「地方精神」の発露と見る批評形式が採用されてゐるのである。
これは、実際、当然のことで、例へば英文学と仏文学との比較は今日立派な学問の域にまで進んでをり、外国文学の研究は、勢ひ自国の文学との対照にまで発展しなければならぬのであつて、私の考へでは、その先駆をなすものが、一国内における各地方、各州の文学的生産を、一種の「気質」に本づいて検討する「好事家的」試みではないかと思ふのである。
しかしまあ、かういふ議論はさて措き、私は、他人のなかに「紀州」を発見し得る修業がややできかけたと同時に、自分のなかの「紀州」もまた、それに共通するところがなければならぬと思ひ、ひそかに自己分析をやつてみることがある。
いふまでもなく、同じ紀州人にも、またいろいろ型があつて、先天的にも、後天的にもそれぞれの個性を発揮してゐるのだから、十把ひとからげに論じるなどは無謀の極みであるが、紀州人には、かういふ型の人物が多いとはいひきれるし、また、ある人物のかういふところは紀州人らしいともいへるのである。
私の観るところ、彼等は、表面的に明るさうに見えても、裡に必ず暗いものを蔵し、熱情家らしく思はれても、底は冷たく静まり返つてゐるのである。
彼等は極端に「自我」を尊重する。平たくいへば「我が強い」のである。また往々利己主義者にさへ見えるが、その「自我」はしかし、それ以上の目的と結びついて一種の反抗的色彩を帯び、
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