あるが、たゞ、そのためには、言葉を武器として使ふほどの用意がいりはせぬかといふことを、私は近頃、ふと気がついた。
 修練を欠いた言葉の操作は、それが武器のつもりであればあるほど、生兵法の危険を伴ひ、相手を戸迷ひさせ、何か間違ひではないかと、頭を叩かれながら訊ねるやうなことにもなる。
 ところで、単刀直入は、やはり、禅などの影響もあり、人が眼をぱちくりさせることは勘定に入れず、極めて象徴的な一言を放つて、相手が応と受けとめてくれることを期待するところがないではない。
 しかし、単刀直入の名手のみあつて、これと正面から渡り合ふ相棒がゐなくなつた今日を考へると、私はなんとなく淋しい気がする。
 その証拠に、多くの議論を聴いたり読んだりすると、何れも、手応へのない単刀直入と、その解説、弁疏に満ちてゐるのである。

     文化の擁護

 私は嘗て二年前、「文化の擁護」といふ言葉は、この時局下に穏かでないし、さういふ考へ方も、戦争といふ国民的事業を遂行しつゝある際、今日までの模造舶来文化などに恋々としてゐるやうにみえてよろしくないから、潔く投げ棄てゝ、今後、文化の「建設」とか「創造」とかいふ方
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