向に一大転換を試みなければならぬ、と云つた。
 これは一部の人々の同意を得たやうに思ふ。
 当時、一般に「文化」の概念なり、意識なりは、今日とはおよそ違つてゐたことは事実で、云はゞ「文化」の国際性といふやうなものに大きな意義を与へ、戦争も文化の一表現だなどと云へば、忽ち反対者が現れさうな情勢であつたけれども、しかしまた、一面に、「文化」は如何なる状態に於て最も健全に伸び育つかといふ問題を、真面目に考へてゐた人々もゐたであらう。
「文化」とは何ぞやといふ問題だけは、一応、日本自体の問題として解決され、日本の文化は将来如何なる方向に発展すべきやといふことすら、もはや、心あるものゝ間では、漠然とではあらうが、焦点らしいものもつかめて来たやうに思ふ。
 この時に当つて、私は、前言を翻すことではなく、まつたく新しい見地に立つて、「文化の擁護」といふ言葉を、もう一度使ひたくなつたことを告白する。
 それは、戦争そのものではなく、戦争に附随する様々な予期せざる生活事情のなかに、また、政治そのものではなく、政策遂行の繁雑な手順のなかに、往々、日本文化のかくあるべきすがたを見失はしめ、かくあらしむべき方
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