は考へられるところが面白い、と、私は思ふ。
 一念凝つて発する無気味な激しさと、生命を何ものとでも代へ得る気軽さとを、ほんたうに神聖な目的のために、われわれの独自の力としたいものである。
 時は昭和の御代である。幾千万といふ日本人が悉く「死」をもつて君恩に報い奉らうとしてゐるこのすがたは、米英のともがらにはしよせん想像もつくまい。

     理髪業

 ある地区で商業報国会の役員会が開かれ、警察の経済関係官から一場の訓示があつた。
 それはそれでよろしいのであるが、役員のうちに、理髪店を経営してゐる某といふものがゐて、訓示中、しきりに首をひねつてゐる。訓示が一向にぴんと来ないのである。それもその筈、訓示の要旨は、「物品を売買するもの」の戦時下の心構へについてであつたからである。
「理髪業は商業であらうか」といふ疑問が某の念頭にはじめて浮んだ。
「人間の髪の毛を刈るといふ仕事は、衛生上の必要と外容を整へる本能とを満足させる仕事であつて、一定の道具と技術とがありさへすれば立ち行く職である。してみると、これは整形外科医のそれとまつたく似たものである」と、気がついた。
 そこまではそれでいゝ
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