るといふ不可思議な現象を、三百年以前の日本が既にこれを示してゐたのである。即ち、義腹とは、主に称する義によつて側近たるの務めを死後にまで果さうとする、云はゞ宗教的信念に基くもので、これは、本物の殉死である。論腹とは、主死すれば臣死せざるべからずといふ論法に依つたもので、一種の理攻めであり、時によると、殉死者を一人も出さなかつたと世間で云はれるやうなことがあつては、死んだ主人もさぞ面目なからうといふやうな考慮から、自ら進んでその一人となる老臣があつたであらう。
 ところで、第三の商腹とは、文字通り、算盤づくの切腹である。殉死者の世襲ぎは間違なく禄高を上げられ、主家の覚えはことのほか目出たく、うまくいけば幕府の恩賞にでも与らうといふやうな抜目のない追跡自殺を指すのださうである。何時の時代にも極めて打算的な人物はゐない筈がなく、加俸を望まない武士は、これも殆どなかつたに違ひないけれども、たゞそれだけの理由で、切腹までしてみせるとは、これこそ「ハラキリ」を辛うじて理解する外国人の常識ではとても考へられないことである。彼らには考へられないことだが、しかし、それくらゐのことはしさうだと、われわれに
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