この二つの「主義」は、現代の教育に於ける最も痛ましい痕跡を国民の性情の上に印してゐるやうに思はれる。しかも、これは学校教育ばかりでなく、その延長でもあらうか、社会各方面の指導的言論のうちにこれをみるのである。
 日本国民の、本来、与へられたもの以上を与へ、命ぜられることをそれ以上になさんとする、かの闊達恬淡な気宇は、教育こそがこれを尊重すべきであると思ふがどうであらう。

     義腹、論腹、商腹

 浅学にして私は、かういふ言葉が徳川時代にあちこちで用ひられたといふことを知らなかつた。
 例の殉死の流行した時代、主君の病死に際してさへもその後を追ふ家臣が続々と現れ、遂に幕府は禁令をもつてこれを制したといふ話は、たしかに聞いたことがあるけれども、その当時、この流行に対して、かくも鋭い批判を加へるものがあつたのは、流石に日本人は隅におけぬといふ気がする。
 切腹といふ行為は、もちろんそれ自身として人間力のある極致を示したものであり、客観的にも悲壮といふ言葉以外にこれを形容することは困難であるが、さういふ神聖な行為さへも、一旦流行となると、その本質から遥かに遠い動機によつて遂行され
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