に、さういふ時ではないかと思ふ。
 一方に於て、最も高貴な精神が讃へられ、国民の祈願はひとしくその精神につながつてゐるにも拘はらず、一方に於て、現実処理に名を藉りた卑俗な空気が瀰漫するとは、いつたい、どうしたことであらう。
 この傾向の主な原因は、真の理想を夢みる能力を欠き、性急で手軽な効果をねらふ便宜主義にある。
 従つて、本来、厳粛なるべき道徳の問題に於てすら、その道徳を標榜し、鼓吹する精神のうちに、唾棄すべき「卑俗さ」を含むといふ矛盾が存する場合が少くない。そこには、見えすいた誇張、若くは、われ知らず陥る自己欺瞞を伴ひ、低調な道徳観の、身のほどを知らぬ思ひあがりが目だつのである。
 かゝる道徳観、道徳意識によつて導かれたあらゆる行為、あらゆる事業は、常にその表現の空疎で月並な感激調と共に、最も「卑俗な」臭気をあたりに撒きちらし、世間は、それに馴らされてしまふ。営利主義が道徳と結ぶのは、この虚に乗ずるより外はないのである。
 政治も亦、国民大衆を導く「便法」として、屡々この種の「卑俗さ」を利用したやうに見えはするが、実は、政治そのものの陥つた「卑俗さ」が、期せずして「俗衆」のみを対
前へ 次へ
全22ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング