象とせざるを得なかつたと云ふ方が、真相に近いかと思はれる。
 結局は、この「卑俗さ」なるものが、単に道徳的な面だけでなく、一般に、綜合的な意味で、例外なく、「文化感覚」の鈍さ、乏しさを示してゐることは疑ひなく、すべての現象を通じて、この「卑俗さ」を生みだす直接の理由は、「文化感覚」の幼稚、貧困、磨滅である。
 面白いのは、現在では、健康な「文化感覚」が指導階級よりも、寧ろ民衆のなかにひそんでゐるといふことである。
 民衆は必ずしも「俗衆」ではないのだといふことを、この間の消息がはつきり伝へてゐる。なぜなら、公けの名をもつて掲げられた標語の類を、その「卑俗さ」のゆゑに、民衆は味気ない思ひを以てこれを迎へる例が甚だ多い。
「卑俗」の反対は、悪い意味の貴族趣味を代表する「高尚」や「上品」では決してなく「雅俗」といふ場合の「雅」ですらもないと私は信じる。それは、今日の要求をもつてすれば「日本人らしい」といふことで十分なのである。
「卑俗」の正体を突きとめることは、文学の任務のひとつである。久しきに亙る理想なき政治と功利的な教育とにその責任を著せることは容易であるが、一面、社会心理からこれをみれ
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