語として甚だ厄介な言葉となつた。
戯曲について云へば、劇的主題といひ、劇的結構といひ、劇的文体といふ、それぞれの「劇的」なる形容詞は、人々によつて、また使用される場所によつて全く異つた内容を与へられてゐるといつていい。このことに注意を向けた上で、ある戯曲が、真に「戯曲的」であるといふことは、要するに、主題と結構と文体とを通じて、必ずしも、所謂「ドラマチカル」な要素を感ぜしめなくてもよい、その代り、一種のリズミカルな生命の流れ、統一と調和に富んだ心理的イメエジの進行、鮮明確実な舞台的脈搏、生彩ある魂の見事な交響楽、などと、名づければ名づけられるやうな印象を受け得た場合を指すのである。
そして、この印象は、要するに、その戯曲の「本質的生命」から来るのであるから、その本質をして、最も光輝あらしめ、また、その本質によつて、更に偉大さを示した作品的要素は、戯曲の全体的感銘として、最後に評価さるべきである。例へば、作者の思想であるとか、人物の描写であるとか、時代的感覚であるとか、機智であるとか、ポエジイであるとか、観察であるとか……。
「本質」とは、要するに、「それがなければならぬもの」であり
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