、「それだけで十分なもの」ではない。戯曲が先づ戯曲であるために、戯曲が他の文学の種目《ジャンル》と区別されるために、戯曲がそれによつて芸術的生命の核心を作るために、第一に具へてゐなければならない条件――やかましくいへば美学的要素を指すのである。これはかの、「戯曲的制約」と称する形式上の問題を離れるわけに行かぬが、制約は、死物である。何人も一度これを知れば足りるのである。芸術的本質とは云ひ難い。
以上の「戯曲本質論」は、私が演劇の実際家として、日頃頭の中で捏ね返してゐることを記してみたのであつて、恐らく、説明の不備と体系を欠く故を以て、一部の人には受け容れられないかもしれぬが、これは、必ずしも独断ではなく、巴里ヴィユウ・コロンビエ座の首脳、ジャック・コポオ氏(Jacques Copeau)の主張と実際の仕事から、立論の根拠を与へられてゐるといつてよく、殊に、「裸の舞台」云々の一句は、そのまま氏から借用したものである。それと同時に、散文と詩との区別に関して、哲学者アラン氏の説から貴重な啓示を受け、十年来の自説に一層確定的な信念を加へ得た一方、戯曲の本質を定義する上に、推論上の一階梯を与
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