るといふ点に異存はないが、これは要するに、戯曲の「附属設備」である。人物の「生活する」状態を説明する一手段である以上、必要なものには相違なく、従つて、ある程度まで演劇の本質に触れるのであるが、結局、一般に考へられてゐるほど重要なものではない。但し、演劇の構成は、前に述べた如く、複雑極まるものであるし、時によると、第二義的なもの、附帯的なもの、殊に、本質を本質として活かすそれぞれの「材料」の価値によつて、決定的効果を挙げ得る場合もあるのである。
この問題については、当然後で述べるが、舞台装飾も亦、ある戯曲の演出に於ては、演劇の本質的価値の発揮に、恐らく俳優の演技以上、重要な役割を演ずる異例がないでもない。
が、通常の場合、戯曲さへ傑れたものであれば、その戯曲の本質的魅力は、「裸の舞台」に於ても、十分にこれを発揮し得るといふのが、正しい主張である。
そこで、舞台装飾の必要、且つ、重要な度合は、上演する戯曲が、本質的に、所謂「スペクタクル」的要素を含んでゐる度合に比例するのが当然であり、また一方、如何なる演劇も、本質的に、多少とも、「スペクタクル」の要素を含んでゐないものは稀だといつて
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