に於て、特に然りである。
 この種の演劇は、近代に於ける非写実的傾向のものに多く、同じ、写実劇でも、例へば、群集を用ひたものなどはその部類に属すべきで、舞台監督の責任が次第に重大となり、その権威が絶対的とまでなつた近代演劇の主潮は、一応合理的であるといつていい。
 が、この演出万能主義は、舞台に未だ嘗て見ざる統一と造形的工夫を齎したが、それと同時に、若干の弊害を残したことを看過するわけに行かぬ。
 即ち、演出家の戯曲冒涜と、俳優機械視である。如何なる戯曲をも、自己の好みに着色し、引き枉げる無謀と、一切の俳優を演技の上で拘束し、命令する大胆との、衒学的傾向である。
 理論として、この演劇システムは、単純で、華やかで、活気に富んでゐる。そこに誘惑の陥穽があり、実行の行きづまりがある。

 演劇の一要素として、舞台装飾(舞台照明、舞台衣裳を含めて)を挙げるのが順序であらう。これは演出家の意図に従つて、舞台美術家が考案製作に従事すべきものであるが、これを演劇の最も重要な要素と考へることは、これまた近代演劇の過渡期に於ける迷妄である。なるほど、演劇の「視官」に愬へる部分、即ち造形的要素の一部であ
前へ 次へ
全56ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング