類する「戯曲美」発生のルツボであつて、所謂、新しき意味の「劇的感覚」とは、このルツボを通して流れ出る観念とリズムの融合美を、最も純粋に感じ得る能力である。
 戯曲に於けるこの「観念」なるものを、特に、「心理的イメエジ」と呼んで差支ない。
 演劇に於て、このイメエジは、「聴官」と「視官」とによつて、ある時間内に、誘導的に感覚され、知覚されるが、この耳と眼に愬へるイメエジのリズムは、即ち演劇美を構成する要素で、それがここでまた舞台なる空間的制限と、俳優の肉体的条件といふ、別なルツボを通過しなければならぬ。
 さて、このルツボを通して最後に観客に愬へるものは、厳密に云へば、作者と、人物と、俳優、この三つの生命の同時的「滲出」である。この三つの生命がそれぞれ別々な力で観客に働きかける時、印象の不統一から来る感銘の混乱が生じ、そのうちのある一つを無視しても、完全な演劇鑑賞とはいへないのである。
 演劇に於ける「美」の本質は、かくの如く複雑であり、その完全な表現は、誠に難しとされてよいのであるが、その結果は、一に俳優を得るか得ないかに存し、この意味で、演劇そのものは、俳優の手に運命が委ねられてゐる
前へ 次へ
全56ページ中46ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング