であつたと観るべきである。そして、これを戯曲としての文学的所産から、舞台を中心とする劇場の実際運動にまで押し拡めて考へる時、大体次のやうな推移を見出すことができる。
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(一)演劇に近代精神殊に社会的苦悶乃至近代的人生観を盛ることによつて、一つの文学運動たらしめたこと。
(二)演劇の企業化に基くその営利主義的傾向に反抗して、一つの純芸術運動たらしめたこと。
(三)演劇の因襲的法則を打破し、その自由なる表現を求めたこと。
(四)演劇より非演劇的要素を排除し、その本質を探究せんとすること。
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さて、この第一の項目だけで、近代劇の特色は十分なやうであるが、それがさうは行かないのである。第一に、演劇は思想的内容だけで進化するものではない。更に、演劇より文学を排除せよといふ主張さへ、一方には起り得るのである。
ただ、演劇が近代文学、殊に写実主義文学の洗礼を受けたことにより、著しくその面貌を一新したといふのは、先づ現実暴露のメスによつて、舞台を「厳粛」な「人生の断片」と化し、所謂「第四壁」論による演劇的イリュウジョンが、「生命によ
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