であらうと思ふ。
ところで、この「演劇革新」の叫びが、偶々自然主義勃興の時代に、最も痛烈な気勢を示し、最も根深く演劇の面貌を変ぜしめた結果から、この時代に君臨した作家及びその作品的主調が、最も「近代劇」の名に応はしく思はれがちであるが、時を隔ててこれを見る時は、近代劇の相貌は、より広く、より複雑なものであることがわかるのである。
そこで、私は、近代芸術の進化途上に於ける演劇並に戯曲の「ジャンル」としての研究に基いて、その革新運動の流れを、更に、「演劇の純化」といふ大きな、ただ一つの目標に導いて行けるのではないかと思ふ。
由来、演劇ぐらゐ「古く」なり易いものはなく、また、「夾雑物」のはひり易いものはないのである。
それと同時に、演劇ぐらゐ「新しいもの」「純粋なもの」が、生れ出るために障碍が多いものもないのである。
この事実を発見し、この意識を芸術的行動に連結させるといふことが、凡そ、演劇の先駆的役割であると同時に、演劇を他の芸術部門のレヴェルに引上げる唯一の道程でなければならぬ。
そこで、近代劇の諸相は、要するに、様々な見地と方法による演劇の革新運動であり、また芸術的純化運動
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