lle)は科学の破産を問題とした点に時代精神を反応したものであり、「鏡の前の舞踏」(La Dance Devant le Miroir)は、象徴的手法の円熟と戯曲的構成の柔軟さを示す代表作であるが、結局、観念の深さが概して劇的リズムに乗り切らないところが、彼の作品を通じての一つの致命的欠陥であらう。
自由劇場は、これらの偉才を見出す傍ら、外国の作家、殊に、ヘンリック・イプセン(Henrik Ibsen, 1828−1906)の「幽霊」を初めて仏蘭西の劇壇に紹介した。イプセンについては、他の部分で、独立した講座が設けられることと思ふから、ここでは例によつて、仏蘭西劇との交渉についてのみ語ることにしよう。
イプセンの戯曲は、その後、相次いで自由劇場は勿論、若干の小劇場で上演せられたが、間もなくプロソオルの翻訳が出版され、一八九〇年前後に亘つて、その反響は相当大きかつたやうに思はれる。イプセンに対する当時の批評を読み返してみると、なかなか面白い。無条件に感歎の叫びを漏してゐるものもあるかと思へば、また、一方ジュウル・ルメエトルの如き批評家は、イプセン畏るるに足らずといふやうな口吻を漏し
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