れに反し、コルネイユは、西班牙劇を手本として、筋の込み入つた、恐ろしく山の多い劇的物語を書いたのである。この方は、将来、シェイクスピヤによつて代表される複雑派の中に合流さるべき一人である。
その次に、モリエエル(〔Molie`re〕, 1622−73)はどうかといふと、これは、ラシイヌと並んで、仏蘭西劇の伝統を背負ふ大喜劇作家であるが、彼の喜劇の優れた特質は、所謂「高級喜劇《オオト・コメディイ》」と呼ばれる性格解剖の文学であり、バルザックの「人間喜劇」に通ずる最初の指標でもあるから、近代仏蘭西諷刺劇の登場人物は、多少ともモリエエル的扮装を施されてゐると考へられないこともない。
その上、ラシイヌの典雅流麗な詩的格調が劇的文体の見事な創造を妨げなかつたことは、特に注意すべきで、これまた、モリエエルの自由奔放な即興的諧謔が、人間生活の苦味に浸つて、その色彩を鈍らさなかつたことと共に、後世の作家は、そこに多くの学ぶべきものを発見したのである。
ところで、この仏蘭西劇の神ラシイヌには、やはり、多くの人間と同様、公平に見て少くとも三つの欠点がある。
第一に、「言葉の綾」が今日から見て、少々神経に触りすぎるところがある。第二に、心理を追ふことに急で、人物の輪郭がぼやけてゐる。第三に、哲学が皆無である。その得意とする恋愛問題でさへも、それは問題となるまでに思索されてゐないのである。
この点で寧ろ、コルネイユに軍配をあげる批評家もあるくらゐであるが、そのコルネイユは、時代の進むにつれて、少しつつ領土を失つて行くのに反し、ラシイヌは、益々多くの信奉者を作りつつある。
十八世紀に至つて、繊細微妙な恋愛劇作者マリヴォオ(Marivaux, 1688−1763)が先づ、彼の直系と目される。しかも、ラシイヌの悲劇は、ここで、喜劇となつてゐることを忘れてはならぬ。つまり恋愛心理の悲劇面から急にその眼を喜劇面に転じたところに、マリヴォオの十八世紀的感覚が動いてゐる。
この時代に、ヴォルテエル(Voltaire, 1694−1778)も亦戯曲を書いてゐる。彼は自分の豊富な才能を信じてゐたから、悲劇であれ喜劇であれ、なんでも書きまくつた。彼は、また英吉利に旅をして、どえらい土産を持つて来た。英語を三年間勉強して、シェイクスピヤを読んだのである。仏蘭西の文学者でシェイクスピヤを読んだのは、
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