I西亜劇等を中心とする近代劇の系図が組立てられるわけであるが、それは私の任ではない。
さて、仏蘭西で、〔le the'a^tre moderne〕 といふ言葉が使はれだしたのは相当古いことで、それは多分十七世紀の所謂古典劇時代からである。が、さういふ詮議は別として、この時代に仏蘭西の劇文学は名実ともに華々しい発展を遂げ、なかでも、ラシイヌ、コルネイユ、モリエエル、この三人は仏国戯曲史の巻頭を飾る大きな名前である。所謂古典主義又は擬古典主義なるものについては、特に面倒な説明を略して、ただ単に、その時代の代表的作家が、如何なる意味で「近代」に繋がつてゐるかを見ればよい。
ラシイヌ(Racine, 1639−99)は、コルネイユ(Corneille, 1606−89)と比較される時、常に、より現実的であるとされるが、なるほど、恋愛心理の解剖に於て、当時としては驚くべき精緻さと鋭さを示したことは事実であつて、単にその一面から見ても、彼は、コルネイユよりも、一層「近代的」であつた。ところで、そればかりではない。コルネイユの理想主義は一種の型に陥つてゐるが、彼の現実主義は、希臘劇の影響は別として、その時代に於ける浪漫主義とも見らるべきもので、これはたしかに、各時代を通じ「近代的」なるものは浪漫的なりといふ見方に合致するのである。その証拠に、彼の作品は、最初、世間の物議を捲き起し、殊にその傑作「フェエドル」(〔Phe`dre〕)の如きは、不道徳なりといふ非難で、彼の周囲は一時暗澹たる有様を呈した。これは丁度、十九世紀に於て、かのフロオベエルの小説「ボ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リイ夫人」、更に、ゴンクウルの戯曲「娼婦エリザ」が遭遇した運命によく似てゐる。
彼は戯曲に「現実的な真理」或は「真理的な現実」を盛り得たことで仏蘭西劇を豊富にしたのみならず、最も大きな功績の一つは、その外にある。元来、劇の構成を、形態から見て二つの流儀に分けることができるが、その一つは、抑も彼ラシイヌによつて導かれ、完成されたといつてよろしい。即ち、複雑派に対して単純派がこれである。これはつまり、近代の「筋を重んじない文学」の始まりであり、「山のない芝居」の出発点である。即ち、メロドラマの排斥が近代劇の芸術的純化に役立つたことを考へ合せて、彼の拓いた路は決して無意義ではなかつたのである。
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