lle)は科学の破産を問題とした点に時代精神を反応したものであり、「鏡の前の舞踏」(La Dance Devant le Miroir)は、象徴的手法の円熟と戯曲的構成の柔軟さを示す代表作であるが、結局、観念の深さが概して劇的リズムに乗り切らないところが、彼の作品を通じての一つの致命的欠陥であらう。
自由劇場は、これらの偉才を見出す傍ら、外国の作家、殊に、ヘンリック・イプセン(Henrik Ibsen, 1828−1906)の「幽霊」を初めて仏蘭西の劇壇に紹介した。イプセンについては、他の部分で、独立した講座が設けられることと思ふから、ここでは例によつて、仏蘭西劇との交渉についてのみ語ることにしよう。
イプセンの戯曲は、その後、相次いで自由劇場は勿論、若干の小劇場で上演せられたが、間もなくプロソオルの翻訳が出版され、一八九〇年前後に亘つて、その反響は相当大きかつたやうに思はれる。イプセンに対する当時の批評を読み返してみると、なかなか面白い。無条件に感歎の叫びを漏してゐるものもあるかと思へば、また、一方ジュウル・ルメエトルの如き批評家は、イプセン畏るるに足らずといふやうな口吻を漏してゐる。その理由とするところは、「イプセンの有するものは悉く従来の仏蘭西文学中に存在したものであつて、今更彼の作品から何物も取入れる必要はない」といふのである。
恐らく若いジェネレエションの熱狂を戒めて、彼一流の婉曲な認め方をしたものに相違ない。
事実、イプセン的主題は、これを概念として見れば、その思想はダア※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ン以来既に「存在した」ものであり、イプセン的舞台技巧は、前にも述べた如く、スクリイブ以来の「うまく作られた芝居」に悉くその例を見出すと云つてもよく、また、「人物を生かす」才能に於ても、ミュッセとベックは既にその極致を示してゐるといふ風に云へるのである。しかしながら、イプセンは、今日から見ても、なほ且つ世界近代劇の最高峰と目さるべき理由があるのだ。それはつまり、平たく云へば、従来の天才的な仏蘭西劇作家が、個々に有つてゐたものを、彼は身一つに具へてゐたといふ驚くべき事実があるからである。しかも、これは決して、[#ここから横組み]1+1=2[#ここで横組み終わり]といふ公式を以てすら示すことのできない現象で、Aの特質とBの特質とが加はることによつ
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