ト、別にCの特質が生れるものなのである。即ち、イプセンに於ては、近代劇作家としてのあらゆる才能が、渾然としてその作品の偉大な力を築き上げてゐるのである。
戯曲家としてのイプセンは、かういふ見方をしなければ理解し難き存在であると私は思つてゐる。イプセンの思想や、その創造になる各種の典型的人物について論ずるのもいいが、それだけでイプセンの戯曲は味へない。
そこで、イプセンの仏蘭西戯曲壇に及ぼした影響についても、決してその局部的なものを見ようとしてはならぬ。無論、中には、キュレルの如く、所謂「イプセン流」と称せられる思想劇に向つたものもあるが、この「考へさせる芝居」の勃興は、近代劇の一エポックを作りはしたが、やがて、その反動も生じ、理論的にも実際的にも、戯曲論上の疑問を生むことになるのである。
が、兎も角も、恋愛劇乃至世相劇全盛の仏蘭西の舞台に、幾分でも「意志」と「運命」の悲劇が現はれだしたこと、これはたしかにイプセンを初め北欧作家の感化であらう。
自由劇場は、その他、外国作家として、主に独のハウプトマン、露のトルストイ、等を紹介したが、自由劇場の運動は、忽ち、全欧洲に演劇革新の機運を齎し、独、英、露等の諸国に於て、同様舞台の写実化乃至大劇場の商業主義に反抗し、新作家の発見擁護に努力する芸術劇団の創立を見た。
仏蘭西に於ても、これを期として、二三この種の劇場が、それぞれの主張を以て生れたが、なかでも、ルュニェポオの制作劇場(〔La Maison de l' OE&uvre〕)は、主として外国劇の先駆的傾向を取入れたが、ストリンドベリイの紹介は、最も意義ある仕事であつた。
一方、「戯曲は飽くまでも演劇的ならざるべからず」と称し、明かに自由劇場的「生活の断片」劇に対抗して、ポオル・フォルの「芸術座」(〔Le The'a^tre d'Art〕)が生れた。そこでは、ヴェルレエヌ、グウルモン、ラフォルグ、マラルメ等の詩人の後援によつて、先づ、詩の朗読が行はれ、次で詩的戯曲の上演が企図されたが、遂に予期の成果を収めることはできなかつた。
が、その頃、既に、仏蘭西文壇の主潮は、写実主義よりの離脱に向ひ、象徴主義の運動が漸次勢力を占めつつあつた。
イプセン後期の作品、ストリンドベリイのある作などに於て、象徴的傾向は十分見られるのであるが、白耳義の作家、マアテルランク(Maet
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