をする人が疲れて厭気がさゝんやうにしなければなりませんが、これは仕事に喜びをもたせるといふことです。仕事の種類はいろいろあつて、随分いやな仕事もあるでせうが、しかし、その仕事の場所に於る心理状態を考へて見ますと、仕事の喜びといふものは先づ一緒に仕事をする人間との接触から湧くのだと思ふのです。オフイスの中にしろ、工場にしろ、同僚或は上役との間の人間的な接触から喜びも悲しみも湧くので、さういふ結果から考へますと、兎に角日本人同士が仏頂面をして、なんでもないことで手下を叱りつけたり、無愛想な返事をしたりするといふ、さういふことをしなくなるといふことが、先決問題と思ふのです。凡そ現在の日本人ほど無愛想で、突慳貪で、人の気持を汲まず、大勢ゐるなかでその場を白けさせることの上手な人間はないと思ふくらゐです。かういふことが文化問題と云へるかどうか知りませんが、大いに考へる必要がありはしませんか。現在の日本の、所謂生活のなかの文化性といふものゝ欠陥、それに気がつくのとつかないのとでは、大変な違ひです。その点で今は一種の啓蒙時代と私は思つてゐるのです。
 これは少し冗談になりますが、現在「文化部」なんか特に置くといふことが、すでに非文化的といへるかも知れません。また「文化部」を受持つてゐる人間だけが、文化のことを考へればいゝなぞと考へられたら、このくらゐ馬鹿な話はないのであります。
 横道へはひりましたが、次にドイツの工場の話――仕事のなかに取り入れられた音楽的な要素――かういふ話は聞くだけでも非常に爽快ですが、そのやうな一つの勤労形態といふものを単に「西洋的文化」と片附けてしまつてよいかどうか、日本にも当然生れて不自然でない文化の形ではないかどうかといふことです。もう一つは、やはりドイツの映画で見ると、勤労奉仕をやる時には指導者がいろいろな部署を見廻る。その部署のまた一人の指導者が大指導者を迎へて万事軍隊式にやつてゐるところがありますが、見廻りに来た大指導者と握手をして、「ダンケ」とやります。この表現は全く日本にないものですが、これが果して飽くまでも「西洋的」なものであつて、日本でこれをやつたらをかしいかといふ問題です。このやうなことが、これからわれわれの考へて行くやうな文化の向上といふことゝどうしても関係がありさうです。単に西洋のものは「西洋的」としてこれを忌むといふ風であると、
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