ても、何が足りないのか実際に自覚しない場合があります。勿論、非常に卑俗に考へて、自分たちの欲望を充したいといふ気持を要求と見ると、さういふものを与へさへすれば、一応その欲望を満足させ得る。しかしさうでなくて、もつと文化的な水準を高めたいといふ風な高い要求は、往々その人たち自身自覚してゐない心の奥にかくれてゐる要求だと思ふのです。それをこちらがはつきり掴み取つてその要求に応ずるものを与へなければいけない。ちよつと突然な例ですが、満洲の少年義勇軍の代表的な少年たちが二千六百年記念式典に上京した時、その人達と会つた席上で、或るお役所の高官が非常に親しみ深い調子で、君たちは今何が一番不満かといふ質問をしたのです。さうすると、真赤な頬をした健康さうな少年がモジモジしながら答へた返事が――この服をなんとかして下さい、これぢや満人の中を歩けんです。かういふ調子でした。さうするとその役人が非常に意外な、心外だといふやうな顔つきをしたので、それから私が口出しをして、その少年の云ひたいことはもつとよい着物を着たいといふことだけぢやない。何かもつとそこに要求がある。それを酌み取つてやつて戴きたいと云つたのですが、その少年たちはヒツトラー・ユーゲントがあゝいふ恰好をして日本に来たことも知つてゐますし、東亜の指導者であるといふ矜りももちたいでせうし、少年としてそこに一つの生活への憧れもあるだらうし、さういふものが「この服を」といふ単純な表現をとつたに過ぎないと見られるのです。例へばその時に、今日本は貧乏なんだから、君たちにもつと立派な堂々たる服装をさせてやりたくとも、それができないのだと一言説明してやれば、少年たちは満足すると思ふのです。強ひてよい服を着せなくとも、それでつまり、文化的な要求を充したことになるわけです。彼等の要求が何処にあるかを感じ取る人に指導されたら、今のさういふ勤労階級の青年たちはグツと希望をもち、勤労にも喜びを感じ、さうして自分たちは国家のためにやつてるのだといふ自覚が盛り上つて来る。そこの呼吸が大事ぢやないかと気がつきました。
勤労の面に於る文化についてはあらゆる角度から考へなければならないので、非常に複雑ですけれども、いろいろなことを詮じ詰めて行くと、先づ第一には申すまでもなく仕事がもつとうまくできればよいといふこと。それがやはり文化的な向上です。もう一つは、仕事
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