われわれの考へるいろいろな方向が暗澹として来る次第で、こゝにも十分な反省が必要であります。
次に、現代日本の青年にはもつと自信をもたせるやうに仕向けるべきです。あれをやつてはいかん、これをやつてはいかんといふやうな状態で、青年を束縛することはよほど考へもので、青年はもつともつと伸びさせたいものです。世の中がいつどう変るかも知れぬといふ不安が、今までは確かにあつたので、青年に本当に自信をもつてやれと云つても無理だつたかも知れませんが、問題としては、政治自体に安定性を与へるといふところまで青年に奮起して貰はねばならないのです。
労務者と話してみると、いぢけてゐて、皮肉で、絶望的な人が多いとのことですが、さうとすれば今の知識層と共通なものがあるわけで、まあ、さういふ時代とでもいふのでせうか。しかし、その原因が何処にあるかといふことになれば、やはり真の意味の文化政策といふものがない、政治に文化性がないといふところへ逆戻りをしてしまふのです。日本人の矜りといふものを具体的に示すやうなさういふ政治――文化政策が行はれなければ、青年はなかなか希望がもてないでせう。さういふ理想は昔の政治家はもつてゐたやうに思ふのですが、要するに政治自体の昨日までの堕落と、もう一つはその結果として「立派な日本」といふイメージが青年たちから遠のいてしまつてゐるのです。
各分野とも、青年の錬成は一番の急務であり、それが国の力といふものを大きくする上で最も効果のある問題だと思ふのですが、今日本の青年教育に欠けてゐるものは、どういふ青年が「理想の青年」かといふ、所謂青年としての典型《タイプ》といふか、立派な青年はどういふ青年かといふイメージで、それが非常にぼんやりしてゐるやうに思はれるのです。これが、青年の身だしなみとか言葉づかひとかいふ方面にいろいろな風に影響して、さういふものが非常に乱れて来てゐます。私は、此処に十人の青年がゐたら、九人までは立派な青年だといへるやうな、共通の理想的なタイプを作り出さなければならないと思ふのです。今は青年のタイプの好みがめいめい勝手、てんでんばらばらで、甲をよい青年だとも云へないかはり、乙を悪い青年だとも云へないやうな有様で、これを律する模範的なタイプといふものが何もないのです。これは青年自身にとつても不安であらうと思ひます。自分がどういふ青年であれば立派であるかと
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング