比すべきではないが、之を以て直ちに活動写真の進むべき道となすことは、恐らく映画芸術の本質を無視したことになるであらう。
外国文芸紹介の一助としてこれらの映画を輸入することは相当の意義がある。
真にシネマそのものゝ芸術的向上をはかる為めなら、必ずしも文芸物と限る必要はない。仏国でいふなら、アベエル・ガンスの『車輪』の如き、文学より独立した映画芸術の佳作も少くない。かういふものを是非加へて欲しい。
鶴屋南北の全集が出るので、僕も予約募集に応じようかと思つて見たが、今日まで、締切間際までまだ決心がつき兼ねてゐる。
日本で、芝居でも書かうといふものが、自国の古典劇作家を読んでゐないとは抑も不都合な話しで、恐らくシェクスピイヤ、ゲエテ、ラシイヌ、モリエールなどを読むより得る処は多いかも知れないに拘はらず、どうも近松とか、南北とか黙阿弥とか云ふ名に接しても、さほど親しみがもてないのは、やつぱり西洋中毒の結果に違ひない。
処で、考へて見ると、そんなら現代の日本劇作家で、誰が本邦古典劇の芸術的伝統を承け継いでゐるか、そして、その伝統が、如何に西洋劇の影響の裡で光つてゐるかと云へば、これは一
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