必要に迫られたからでもあるが、こんなことではとても駄目だと思つて、思ひきり大胆に日本語の直訳みたいな文章で、手紙など綴ることにした。それから急に手紙を書く気持が楽になつたやうに思ふ。そればかりでなく、その手紙が却つて非常に面白いとほめられたことさへある。例へば、ヨーロッパ人ならば、親しい情を表はすために、手紙の末尾に「接吻を送る」といふやうな言葉を記すけれども、日本人にはそんなことはとても気恥づかしくて書けない。そこで、そんな調子で書くよりは、やはり日本人らしく「頭を下げる」と書くはうが面白い。つまり「頓首」とやるのである。それで相手には充分意味も心持も通じるし、日本的な味も出るのである。野口米次郎氏の詩などはさういふところに非常に特徴があるのではないかと思ふ。
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吾々は中等学校から外国語を学んで外国の言葉を覚え、そして外国人の書いた文章に接触するわけであるが、その場合は、何かしら日本人として「言葉」の機能といふものについて、いままで国語の授業では気が付かないでゐたものを、はじめて発見することがあるやうに思ふ。言葉といふものはかういふものだつたのか、かういふ力を
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