から上の彼女は、こつちを向いてゐるらしかつた。抜き手が時々乱れた。頭が度々水の中にかくれました。
それが、今度は、激しく現はれたり消えたりしました。両手だけが同時に水の上に出ました。波が細かにゆれました。
「助けて…………」といふ声が聞えるのです。私は笑つてゐました。
また「助けて……」
私は笑はうとしました。が、今度は、無意識に上着を脱ぎ棄てました。
見ると、彼女の顔は、もうそこに見えるのです。空を仰いで、狂ほしく叫んでゐる。ほどけた髪の毛が、もれ上る波の頂に逆立つてゐます。
私は夢中で水の中に飛び込んだ。此の瞬間、自分の勇壮な風姿を想像して、一寸口をゆがめました。
水が膝まで来るところで、私は彼女の方に手を伸ばしました。彼女は、真蒼な頬に感動の色を泛べながら私の手に取り縋りました。
やがて、彼女のぐつたりしたからだが砂の上に運ばれました。
「お芝居でせう」かう云つて、私は苦笑しました。
その翌日、夕食の時刻に、私は彼女の夫に紹介されました。彼は幸福な男のあらゆる表情を漲らせながら、私の手を握りました。
彼女は、その日の朝、私が散歩に出ようとするのを呼び止めて、
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