ました。と、思ふと、五六間離れた砂山の蔭から、水着一つになつて飛び出しました。私の方は見ずに、そのまゝ、海へ――その姿を私は微笑みながら見送りました。
彼女のからだは、もう腰から下、水に漬かつてゐました。両手を水平に左右へ、それを肩から押し出すやうに振つて、深く深くと進んで行くのです。一度波を浴びたその乳色の肩先が、薄暮の光を受けて鱗のやうに輝いてゐました。
間もなく、彼女の首だけが、波の上に浮んで見えました。
此処に来て、それまでは一度も海にはいらうと思はなかつた私は、この時、何となく、着物が脱ぎたくなつた。何を躊躇してゐるのだ! 起ち上つて、私はまた別の岩角に腰を下ろしてしまひました。
彼女は、めつたに人と口をきゝませんでした。どうかすると、人に話をさせて、自分は何かほかのことを考へてゐる、さういふ風なことさへよくありました。
「本をお読みになれば、何かお貸しゝませうか」
「小説? あたし小説は嫌ひですの」
おゝ、ミュウズよ、彼女の冒涜を赦せ。彼女は、その代り彼女の夫を何ものよりも愛してゐるに違ひない。
彼女は自分の部室に閉ぢ籠つてゐることはありませんでした。
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