れにとつて代らうといふ時代でなく、お互が協力すべきときであるだけに、先づこつちの云はうとすることを、正しく受けとつてもらふことが必要なわけです。そのためには俗な意味での妥協は不必要だが、相手にとつて疎遠な表現によらずして、少くも相手に親しみのある表現を使ふところまで努力しなければいけないのではないですか。
 例へば政治の文化性といふ云ひ方なども、政治家には通じない。それを云ひ方を変へれば、わかるといふことがある。それで何処までも政治の文化性などといふ云ひ方でおし通さなければいかんといふことまで考へなくともいゝ。もつとそれをいろいろな云ひ方で、表現するだけの努力を、一般にして貰ひたいと思ふのです。
 文学者の言葉にしろ、文章にしろ、文字面とか、意味とか、論理的にはわからん人はないが、文章の雰囲気、言葉の調子といふものが通じないのです。文学者でなければないもの、それによつて政治を新しくしなければならぬといふことは、勿論云へる。また一般民衆は、文学者の云ひ方に余計魅力を感じ、その方がよくわかるといふことも事実で、僕も今の知識層の動きが、寧ろ政治の力よりも、一層民衆に対して働きかける力が大きい
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