る生徒にあまく見られてゐるのだ。これは日本の現在の、いろいろな意味での「道」が廃れてゐる一つの証拠で、道といふ言葉にはいろいろの意味があるが、友人道などでも、その友達に好意をもつならば、逢はなくたつてその友達に対する好意は変らない。友達に何かしてやつて、自分の好意を示さなければ気が済まないとか、非常に浅薄なことによつて友情を取結ばうといふことが、近ごろ友人間の道として、人が一般に認める事実になつたが、これは非常に間違つたことだ。同様に、教師と生徒の間も、本当に自分が教師として立派であることに努めることが、いゝ影響を生徒に与へることだ。これははつきりと確信をもつてやらなければいけない。ところが教師に対する社会の要求が、学問を伝へるだけぢやいかんとか、学生の手を引つ張つてやれとか、早く云へば小乗的な要求が多過ぎると思ふ。しかしこれは一方に、本当に教師の道といふものを知つてゐて、いゝ教師になることを努めてゐる人が少な過ぎるからでもあるが、本質を見極めず、一つの方針を樹てることができずに、なんでもない枝葉の部分で、非常に間違つた要求をすることが、いつでもいろいろなところで多いのです。例へばいま
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