考へたら、自分たちのやつてゐるより、もつと大事なことがあるのぢやないかといふことを考へなければならん。
学校・先生・青年
いろいろな学校の例を、聞いたり見たりしてゐるんですが、先生にもいろいろな型があります。一生懸命自分の研究を深めて行つて、その深めたものを生徒に正しく伝へようと工夫することが教師として一番正しいと確信してゐる先生。第二は、とにかく自分は専門家だ、知つてゐることを教へればいゝんだ、その教へるのには、先づ生徒の気持を惹きつけなければならん、そのためには自分の知つてゐることを深めることに努力するより、生徒と自分をなるべく近くして置いて、さうして物を与へ易くしようといふことに努めるのが、いゝ先生の代表的なものと考へてゐる先生。この二つを較べるとき、僕は後の方の教へ方は非常に間違つてゐると思ふ。さういふ先生を、生徒は本当に信頼してはゐないやうです。いゝ先生だと生徒が信じ切つてゐるのは、やはり勉強してゐる先生の方だ。これは殆ど例外なしです。生徒に表面人気があると見える先生は、本当は生徒から尊敬されてゐない。人気があると思ふのは先生自身だけで、客観的に見れば、いはゆ
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