として望み得るやうな、一つの未来の日本の姿を、固くならないで、ユートピヤ小説の形で書いて見る人がゐると面白いだらう。

     表現に於る政治性

 文化人と云はれてゐるものが、他の社会の人とわかり合ふことが、予想以上に大変だといふことを今痛切に感じてゐます。それも、われわれを他の社会、他の部門の人にわからせることが一層困難だ。他の部門の人の云ふことは、割に、わからうと努力すれば、これはわかる。われわれは、あまり他に通じにくい言葉を使つてゐるんではないかと僕は痛切に感じるんです。いま文化部門、殊に文学芸術の畑で話してゐたものが、他の一般社会にものを云ひかけるといふ場合には、表現をもつと工夫しなければならん。お互のなかで感じ合ひ、通じ合つてゐたことをそのまゝ不用意に他の世界に使用しても、相手には通じない。その場合、僕もいまゝで罪は向うにあつて、それがわからないのは、文化的教養が彼等に欠けてゐるからだと思つてゐたが、必ずしもさうではなくて、文章を書くにも十分注意しなければならないと考へるやうになつたのです。
 平生からもう少し一般文化面に興味をもち、綜合雑誌や小説や文芸評論などを読んでゐれば、僕等の云ふことがそれ程わからなかつたり通じない筈はないといふ風に今までは思つてゐた。しかし、たしかにさういふところもあるには違ひないが、今では、それをどうしても通じさせねばならんのです。向うに勉強なさいと云つたところで間に合はない。どうしても、自分たちの云はうとしてゐることを、相手がわかるやうな言葉で、或は云ひ方で表現することが必要になつて来た。しかしそのために、こつちが相手のレベルまでさがることはちつともないので、これははつきりしなければならぬところです。同時に向うの考へ方、例へば政治家としての考へ方について、われわれはさういふ要素があまり無さ過ぎて、今度は向うの表現そのものゝ中に、真理といふものを発見できない場合があるんです、あり得るんです。われわれのものの考へ方は、あまり現実から離れてしまつてゐるといふことも、一応反省しなくちやならない。その呼吸さへわかればわれわれが云はうとする主張が、もつと向うに正しく受容れられるところが随分ある筈です。お互の協力を強めるために、さういふ努力をすることが実は今日一そう必要なんぢやないでせうか。兎も角、今日の段階は、相手を克服して、自分がそ
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