、臣道といふことが云はれてゐる。日本国民の道といふこともそれと同じだ。立派な日本国民になるといふのはどういふことだといふことを、もつとはつきりさせねば、教育の根本は始終ぐらつかなければならん。
 学校教育と関連して、一般青少年の理想だが、これも今までのやうな考へ方から変へて行かなければいかん。今まで、偉い人間といふのは、なんとなく勲章を沢山つけた人とか、自動車を乗り廻す人とかいふ風に考へられがちだつた。立身出世主義をみんなの力で取除くことだ。さういふ社会的の立身出世でなく、社会がかういふ人を尊敬してゐる、またさういふ人の仕事は、社会的に名誉を以て報いられると同時に、物質的にも酬いられるといふことを、はつきり知らせる運動を起すべきだと考へます。名誉がいろいろな形に現れて来るから、やはり不純なものになる。大きな家にでも住んでゐれば、それが何か名誉のやうな錯覚が、民衆の頭に沁み込んでゐるからいけない。一方から云ふと、不名誉にもならないやうなことが、不名誉扱ひを受けてゐたりする。この社会の通念を矯正して行くためには、ジャーナリズムなど与つて力があると思ふ。
 明治以来の、いはゆる誰でも偉くなれるといふ気運が、これを作つてしまつたんでせう。ところが誰でも偉くなれるといふ気運は一時の傾向で、さういふ情勢を遥かに超えてゐても、まだその気分だけが抜けず、足掻きを続けてゐるといふ現状です。誰だつて政治家にもなれ、軍人にもなれることは間違ひないけれど、さういふ社会的の地位だけが出世の目標であつてはならないのです。一勤労者が公のために、目立たないがこれだけの仕事をしてゐるといふことを少くとも知つてゐる人間が敬意を表して、その人に頭を下げるといふ気運が、どうしても出て来るべきでせう。どうも今までは、人間性といふものに対する、本当の教育の根本がなかつたのです。お互にあの人は立派な人だといふ標準が、もつと変つて来ねばいけない。
 教育と政治と結びつき、多少極端な方針がそこに加つて来ると、立派な国民であれば立派な人間でなくてもいゝといふやうな、殆ど考へられないやうな方向に逸れて行くことがある。
 新しい時代の日本人の形といふものは、作家には興味のあるものですが、何か作品で、さういふものを捜してゐる人はゐませんか。新しい日本人の型といふ問題を……。
 こなひだも云つたが、形は旧くてもいゝが、日本人
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