お出迎へがございまして、わたくし、ほつといたしましたんですが、その船でまた日本へ帰つて参ります時は、精がなくて精がなくて、どなたの前でも、つい涙がこぼれるんでございます。事情を御存じの事務長さんや、チーフ・メートさんが、いろいろ御深切におつしやつて下さいますし、わたくし、たうとう、それから、御主人にお暇をいたゞいて、馴れないことではございますが、その船で働いてみることにいたしましたの。縁と申すものは不思議なものでございますね。夢にも考へてをりません船の上の、云はゞ命がけといふ仕事でございませう。それが、ぴつたりわたくしの性《しやう》に合ひましたんです。海が荒れるくらゐ平気でございました。殿方でさへ、召上りものが進まないといふ日に、わたくし、却つて、御飯が余計いたゞける始末で、みなさんから笑はれたんでございますけれど、ほんとに、海上生活つて申すものは、よろしうございますね。毎日毎日が、云ふに云はれない楽しみでございましてね。先々の港が眼に浮びます。始終、明日を待つやうな気持は、陸にゐてはわかりません。殊にわたくしどものやうに、自分の望みといふものがないものには、せめて、行先のあてでもなけ
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