蓄音機。

一組の男女が、階段を降りて来る。
男は四十五六、女は二十八九、夫婦のやうにも見え、夫婦でないやうにも見える。男は頑丈な体格の、苦学生上りの役人とでも云ひたい風貌を備へ、女は、素人風をした商売女と云へば云へよう。二人は、一つのテーブルを夾んで腰をおろす。

室内は、外が暗くなるのにつれて暗くなる。やがて、食堂に燈火《あかり》がつく。
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女  あなた、このホテルへははじめてぢやないのね。
男  どうして……。
女  でも、あんまり勝手をよく知つてらつしやるから……。それに……。
男  海がどつちに見えるかぐらゐ、すぐわかるさ。
女  さうぢやないんですよ。あの、女中|頭《がしら》つていふのかしら、部屋を案内したお婆さんね。なんだか、馴れ馴れしい口の利《き》き方をしてたぢやありませんか。
男  あゝ、あゝいふ奴はよくゐるよ。いや、宿屋には限らない。客商売つていふもんは、そこが骨さ。初めて買物をした店で、毎度ありがたうつて云ふぢやないか。
女  …………。
男  二人とも知らないところへ行きたい
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