に思へるんだらう。四半世紀、限られた土地の上を経巡《へめぐ》つてみろ。到る処で、嘗て何かしら交渉のあつた人間にぶつかる。両方で、それを覚えてないことが多いだけだ。
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この時、るいが、また現はれる。
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るい 風呂《バス》へは、何時頃お召しになります?
男 君たちが手のすいた時でいゝよ。
るい わたくしどもは、そのためにをりますんでございますから……。
男 さうか、却つて、手が早くすかないわけだね。ぢや、こつちで勝手にするから、かまはずにやすみ給へ。
るい わたくしどもは、十時半に退《ひ》けでございますから……。
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土屋夫人が、はひつて来る。一旦、二階へ上り、再び降りる。ホールへ行き、新聞の綴りを取つて来て、中央の椅子にかける。彼女が、その新聞を読んでゐる間に、夫婦の女の方が、何か男に耳打ちをして二階に上る。
京野が、外から帰つて来る。夫人は、顔をあげて、その方を見る。
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京野 ちよつと、いらしつて御覧なさい。いゝものをお目にかけますから……。
夫人 外へですの?
京野 外つて、すぐ前の亭《あづまや》ですよ。
夫人 なんでせう……。
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両人、扉から外に出る。
部屋には、るいと、男と、二人きりである。時々、二人の視線が合ふ。
長い間。
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男 今の奥さんは、どういふ人?
るい 歌をお詠みになる方《かた》ださうでございます。始終、お一人でお出かけになりますんですが、旦那様はなんでも、東京でお勤めになつてらつしやるやうでございます。
男 (夫人の置いて行つた新聞を取り上げ、それを読みはじめる)
るい こちらへは、しばらく御滞在でございますか。
男 うん、まあ、ゐられるだけゐてみよう。
るい どうぞ、御ゆつくり遊ばして……。そのうちに、浜で、松露や、防風が取れますし、釣りもなかなか面白いさうでございます。
男 釣りは、なんだい?
るい 烏賊《いか》でございますよ。
男 あゝ、烏賊《いか》か。
るい おなじホテルでも、海岸のホテルにをりますと、さういふお話ができますので、わたくし、ほんとにうれしいんでございますよ。海はよろしうございますね。これで、船に乗つてをります頃は、そんなでもございませんでしたけれど、陸へ上りますと、海が恋しうございます。それに、海の上でみる空は、また格別でございますからね。御承知でございませうが、夜、甲板に出て、星を見てをりますと、世の中の苦労を忘れてしまひます。第一、あの星の下で、人間が醜い争ひをするなどとは考へられません。さきほども、土屋様の奥さまに聴いていたゞきましたのですが、たとひ、そこで、わたくしを欺し、わたくしに背《そむ》いた男がゐましたにしましても……。
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この時、土屋夫人が、京野と共に扉をあけてはひつて来る。
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京野 明日《あした》、あの鳥が生き返つてゐたら、僕の勝ですよ。
夫人 えゝ、よろしいわ。あなたに勝たしてあげたいの、あたしは……。むろん、あの鳥のためによ。
京野 さうでせう。ぢや、おやすみなさい。
夫人 さよなら……。
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京野は、ひとりで、二階に上つて行く。
夫人は、さつきの椅子にかける。
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男 新聞を拝借してゐます。
夫人 よろしいんですの。
るい 奥さま、わたくし、今日は、まつたく、どうかしてゐるんでございますね。さつき、あんなお喋《しやべ》りをしたからでございませうか……。なんですか、胸騒ぎがしてしやうがございません。それに、かう肥《ふと》つてをりますと、何時《いつ》なんどき、心臓をやられるかわからないつて、お医者様もおつしやいましてすから……。
夫人 気をつけた方がいゝわ、あんまり思ひつめるのがよくないんだわ……。
るい はい、それはもうわかつてをります。ですから、近頃は、なにも考へませんのです。からだもなるだけ使ひません。かうして、楽な仕事ばかりさせていたゞいてては済まないんでございますけれど……。
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九時が鳴る。るいは、レコードを外《はづ》す。彼女は、夫人と、男に、恭しく会釈をしてその場を去らうとする。
男、それを見送る。
夫人は、ぢつと、二人の様子をみてゐる。
食堂の燈火《あかり》が消える。
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