ますので、わたくし、ほんとにうれしいんでございますよ。海はよろしうございますね。これで、船に乗つてをります頃は、そんなでもございませんでしたけれど、陸へ上りますと、海が恋しうございます。それに、海の上でみる空は、また格別でございますからね。御承知でございませうが、夜、甲板に出て、星を見てをりますと、世の中の苦労を忘れてしまひます。第一、あの星の下で、人間が醜い争ひをするなどとは考へられません。さきほども、土屋様の奥さまに聴いていたゞきましたのですが、たとひ、そこで、わたくしを欺し、わたくしに背《そむ》いた男がゐましたにしましても……。

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この時、土屋夫人が、京野と共に扉をあけてはひつて来る。
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京野  明日《あした》、あの鳥が生き返つてゐたら、僕の勝ですよ。
夫人  えゝ、よろしいわ。あなたに勝たしてあげたいの、あたしは……。むろん、あの鳥のためによ。
京野  さうでせう。ぢや、おやすみなさい。
夫人  さよなら……。

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京野は、ひとりで、二階に上つて行く。
夫人は、さつきの椅子にかける。
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男  新聞を拝借してゐます。
夫人  よろしいんですの。
るい  奥さま、わたくし、今日は、まつたく、どうかしてゐるんでございますね。さつき、あんなお喋《しやべ》りをしたからでございませうか……。なんですか、胸騒ぎがしてしやうがございません。それに、かう肥《ふと》つてをりますと、何時《いつ》なんどき、心臓をやられるかわからないつて、お医者様もおつしやいましてすから……。
夫人  気をつけた方がいゝわ、あんまり思ひつめるのがよくないんだわ……。
るい  はい、それはもうわかつてをります。ですから、近頃は、なにも考へませんのです。からだもなるだけ使ひません。かうして、楽な仕事ばかりさせていたゞいてては済まないんでございますけれど……。

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九時が鳴る。るいは、レコードを外《はづ》す。彼女は、夫人と、男に、恭しく会釈をしてその場を去らうとする。
男、それを見送る。
夫人は、ぢつと、二人の様子をみてゐる。
食堂の燈火《あかり》が消える。
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[#ここか
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