に思へるんだらう。四半世紀、限られた土地の上を経巡《へめぐ》つてみろ。到る処で、嘗て何かしら交渉のあつた人間にぶつかる。両方で、それを覚えてないことが多いだけだ。

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この時、るいが、また現はれる。
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るい  風呂《バス》へは、何時頃お召しになります?
男  君たちが手のすいた時でいゝよ。
るい  わたくしどもは、そのためにをりますんでございますから……。
男  さうか、却つて、手が早くすかないわけだね。ぢや、こつちで勝手にするから、かまはずにやすみ給へ。
るい  わたくしどもは、十時半に退《ひ》けでございますから……。

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土屋夫人が、はひつて来る。一旦、二階へ上り、再び降りる。ホールへ行き、新聞の綴りを取つて来て、中央の椅子にかける。彼女が、その新聞を読んでゐる間に、夫婦の女の方が、何か男に耳打ちをして二階に上る。
京野が、外から帰つて来る。夫人は、顔をあげて、その方を見る。
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京野  ちよつと、いらしつて御覧なさい。いゝものをお目にかけますから……。
夫人  外へですの?
京野  外つて、すぐ前の亭《あづまや》ですよ。
夫人  なんでせう……。

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両人、扉から外に出る。
部屋には、るいと、男と、二人きりである。時々、二人の視線が合ふ。
長い間。
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男  今の奥さんは、どういふ人?
るい  歌をお詠みになる方《かた》ださうでございます。始終、お一人でお出かけになりますんですが、旦那様はなんでも、東京でお勤めになつてらつしやるやうでございます。
男  (夫人の置いて行つた新聞を取り上げ、それを読みはじめる)
るい  こちらへは、しばらく御滞在でございますか。
男  うん、まあ、ゐられるだけゐてみよう。
るい  どうぞ、御ゆつくり遊ばして……。そのうちに、浜で、松露や、防風が取れますし、釣りもなかなか面白いさうでございます。
男  釣りは、なんだい?
るい  烏賊《いか》でございますよ。
男  あゝ、烏賊《いか》か。
るい  おなじホテルでも、海岸のホテルにをりますと、さういふお話ができ
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