観て忘れる
岸田國士

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)車輪《ラ・ルウ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はつきりしたかたち[#「かたち」に傍点]
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 自分で思ひ立つて映画を観に行つたことはまづないと云つていゝ。大ていは女たちの御招伴である。これは映画と女とを一緒に軽蔑してゐるやうに聞えるが、決して女も映画も軽蔑してゐるわけではなく、全く無精だからである。――芝居の方はどうかと訊かれると、これはまた一層ひどい。一年に二三度あるかなし、その代り、これは自分で思ひ立つ。
 評判になつた封切ものなど、家の誰かゞ観て来て話をするのだが、つひそのまゝになつてしまふことが多い。
 今頃こんな標題を持ち出すとその道の人は嗤ふかも知れないが、「嘆きのピエロ」といふのでも、つひ先達ある機会に初めて観たので、それまでは、なんといふことなしに、もう何処かで観たやうな気がしてゐたのである。実物を観た後でも、その前に想像してゐたいろいろの場面が、はつきりしたかたち[#「かたち」に傍点]こそ取つてはゐないが、何時までも頭にこびりついてゐて、実物の印
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