の宣言に懐疑の眼を向けるのは当然である。
既成の劇場乃至映画会社は、其内部機構の曖昧さよりも、寧ろその生産によつて示される品位の低さによつて、如何なる方法でも、現在以上良質な材を誘引することは絶対に不可能であり、進歩的研究的と称する小劇団さへも、その理論的背景はともかく、実質に於て、責任ある職業教育のプランは樹て得ない事情にある。
そこで、私は、例の映画国策の波に乗つて、その具体案の一つに、官立演劇映画専門学校案なるものを加へられんことを当局に希望する。この案は、劃期的であり、同時に、永久性あるものでなければならぬが、その実施の困難は恐らく教師の選定といふことにあるであらう。しかし、これに対し、私は今自分の意見を述べることを差控へよう。たゞ、その気になれば、いくらも方法は考へられるのである。
国家は、人形芝居に補助金を与へ、官立音楽学校に今更邦楽科を置く余裕がありながら、何故に新興芸術の為にその基礎的施設を怠つてゐるのであらうか? 過去の遺産に恋々たるよりは、国民の進歩的な創造精神を鼓舞するのが賢明な政治であると思ふ。固より伝統的な歌舞音曲の保護も結構には違ひないが、その文化的
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