伝統があるからである。現在の西洋映画は、公平に見て、同時代の舞台芸術から主なる演技者を借りてゐると云つていゝ。
 ところが、日本の映画は、若干の例外を除いて、舞台俳優はスクリインの上で通用しないのである。なぜかといふと、今日までの日本演劇は、新劇を含めて、俳優の正統的な訓練を無視してゐたからである。これは現代日本演劇の民衆から離反する最大原因であるのみならず、また同時に、日本映画の発達向上を阻害する致命的弱点なのであつて、これをなんとかしなければ、なにをどうしても無駄だといふことを、私は固く信じてゐる。
 が、最早今日となつては、演劇も映画も、過去の積弊と信用の失墜によつて、それが民間の事業家乃至篤志家の手による限り、本質的な改革を企て得る希望はないと云つていゝ。残念ながら、周囲の情勢と十年の経験とが私にそれを云はせるのである。
 日本はまだ個人なるものゝ権威がそれほど認められない国と見えて、国家的配慮が、何よりも民衆に安心を与へるのである。官尊民卑の風潮によつて来るところの原因は極めて複雑であるに相違ないが、インチキ学校続出の傾向は、世の父兄を怖れしめ、野心と天分ある青年子女は一私人
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