人も俳優になつてゐない、また、俳優になる意志はないといふことである。
 この事実は決して、現在の映画俳優が、すべて素質に於いて零であるといふ意味ではなく、可なり優れた素質をもつてゐるものでも、映画俳優を志して、その修業の道程にはいつた途端、人間としての面白味がだんだん失はれ、演技の熟練が全くその線に添つて、積み重ねられなかつたといふ驚くべき錯誤の結果である。
 人間としての面白味、つまり、あらゆる方面で責任ある仕事をしてゐる人物の、おのづから備へてゐる風格といふものは、何よりも、その人物の背負つてゐる生活の反映であつて、俳優も亦、俳優としての生活が、社会的に下らないものである限り、その風格も亦、卑小浅薄、所謂、芸人の域を脱しないのが当然である。
 例へば、頭脳労働者には頭脳労働者の風貌がある。収入の如何に拘はらず、また地位の高下に拘はらず、他の階級のものでは到底真似のできないある種の雰囲気をもつてゐる。今日の俳優で、この階級の人物に扮し得るものが果して幾人あるか?
 僕の意見では、一人もないのである。ところが、俳優の大部分は、実際、その職業を忠実に果し得るためには、一面、立派な頭脳労働
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