映画の観客と俳優
岸田國士
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)あざとさ[#「あざとさ」に傍点]
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映画はその歴史が若いやうに、映画の観客といふものは、概して非常に若い。一体に、芸術的なもの、精神的な娯楽を求める年代は、まだ生活のためには時間を多く取られない青年期であるに相違なく、文学的な読書なども四十を過ぎると、もうその必要を感じなくなるといふのが普通らしいが、それでもまだ、文学や演劇の方面では、大人にも十分魅力のあるやうなものがあるのである。ところが、映画となると、先づ第一に、内容がどうも大人の頭で考へられてゐず、世間をある程度知つてゐる眼から見ると、馬鹿々々しい嘘が多すぎ、形式から云ふと、自由であるだけに洗煉されてゐないところがあり、珠に、映画館の空気といふものが、変に子供臭くできてゐるのである。若い人達が沢山ゐるといふやうなことではない。装飾にしても、設備にしても、大人の神経にはどうも容れられないところがある。つまり、気恥しいのである。
映画は時代の尖端を行くものだから、時代遅れの年寄には向かんとい
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